日本における郷土かるたの歴史
【遊びのルーツは「貝」】
日本における「かるた遊び」の歴史的なルーツをさぐっていくと、平安時代の貴族の遊び「貝覆」(かいおおい)、「貝合わせ」にまでさかのぼれます。
はじめは一対の蛤貝を合わせるだけの単純な遊びでしたが、室町時代頃になると貝の内側に美しい模様を施した「絵貝」や古今集などの詩歌の書かれた「歌貝」が登場しました。
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【「貝」から「紙」へ】
16世紀半ば、南蛮貿易の時代になると、ポルトガルやスペインから西欧のめずらしい文物がたくさん入ってきました。そのうちの一つがカルタ(南蛮カルタ)でした
カルタの到来は日本古来の「歌貝」に大きな変化をもたらしました。これまでの貝はカード化され、呼び名も「歌かるた」となりました。
歌かるたの代表選手は、お馴染み「小倉百人一首歌かるた」です。鎌倉時代、藤原定家によって成立したといわれる「小倉百人一首」は、このあとかるたの形式をとり、教養に遊びにと使われるようになりました。
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【かるたの普及と郷土かるたの誕生】
江戸時代には、詩歌以外に博物学的知識(動植物、虫類、貝類等)、歴史・地理的知識、社会知識(宮廷の調度品、武具、職業)等、事物を視覚的に教える「絵合わせかるた」も作られました。
また、18世紀頃になると、これまで上流階級の文化だったかるたは、一般庶民に広まっていきます。
やがて、庶民生活の知恵であることわざを集めた「ことわざかるた」、それをいろは順に整列・改良した「いろはことわざかるた」が作られると、かるた遊びの面白さに刺激された人々は、たくさんのバリエーションを作っていきました。
その一つが、人々の身近な地域、郷土の代表的な自然、歴史、産業、文化を詠んだ「郷土かるた」だと考えられます。
これまで作られてきた「郷土かるた」の数は、日本国内で千数百程度あり、今や世界にも広められつつあります。
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【郷土かるたを未来へ伝える】
平安時代の「貝覆」、「貝合わせ」にはじまり、「歌貝」、「歌かるた」、「いろはことわざかるた」という長い進化を経て生まれた「郷土かるた」。
このユニークな遊びを通して、人はふるさとの土地と出逢い、ふるさとの人々と出逢い、やがてそのような出逢いを身体に刻んで存在している自分と出逢うことになるでしょう。
そして、どんな人にも、その人にとってかけがえのないふるさとがあることに気づくことでしょう。
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郷土かるたの定義と私たちのビジョン
本会は「郷土かるたとは、郷土に関連する諸事象をいろはかるたの形式によってカード化(かるた化)したものである。」と定義しています。
土地の記憶、生の営みを伝える「郷土かるた」。
私たちはこの希有な遊び文化を日本だけでなく世界中で共有し、持続可能な地域・社会の実現に向けて、人と土地、人と人とをつなげる新たな文化を創っていきたいと思っています。